交点の先で

思えば遠くに来たもんだ

限られた愛と時間を両手に抱きしめる

2019年が今日で終わる。2019/1/27から世界が変わってしまったこの1年。そして満20年を迎えたこの1年。いろいろあったね、ほんとに。

悲しくなることも、正直たくさんあった。

努力して努力して前列の立ち位置になっても1ヶ月休めばまた一番後ろの列からやり直し、ってことをジュニアの時から知っているさくらいくんが、ずっと積み重ねてきたにってれのオリンピックキャスターを外れた。これは2020年末まではあらしとして出来ることをやりたいという本人の意志が多分に含まれたものだろうし前向きな選択かもしれない。けど、休止がなければ選ばれなかった選択かもしれない、と考えてしまうとやるせなかった。

にのみやくんが、結婚した。せめてツアーが終わるまで、せめて2020年が終わるまで、待ってほしかった気持ちの人がたくさんいたことは事実だと思う。ステージに立っているにのみやくんは何も変わっていないように私の目には見えたけど、悲しいのは、あらしやにのみやくんを見る目が確実に変わってしまった人がいること。みんなそうしたくて変わってしまったわけじゃない。でも、私はにのみやくんの人生に口出しなんてできない。だからどうすることもできなくて、変わってしまった現状を嘆くしかないことが寂しい。

あいばくんが24htvで手紙を読んだときのおおのさんの顔が、私は忘れられなくて。ライブの挨拶でも、活動休止後パワーアップして戻ってきたいという人と、2021年目以降のことは何も言わない人と、体型維持の話が精一杯な人がいて。2021年のその先は心なしか見ている方向が揃っていないままなのかもしれない、と思ったこともあった。

そもそも。あらしが活動休止するという事実を、わたしは自分が受け入れられているのかどうかも、まだよく分からない。もしかしたら最後になるかもしれないコンサートで、最後に歌われたHappinessにぼろぼろ泣いてしまったのは、めちゃくちゃ楽しくてでも終わってしまうのが寂しくて今この瞬間わたしとあらしがここにいるその尊さみたいなものに心が揺さぶられてしまったからだ、と思う。未来の保証がないからこそ涙が出るほど輝く今が生まれるのだけど、未来の保証がないことは涙が出るほど寂しかった。

言葉にできない違和感とか些細な一瞬も含めたら、数えきれないくらい。綺麗事ではかき消せなかった。だって、あらしがいなくなっちゃうって、そりゃ、しょうがないよ。

でも。でもね。5×20最終日、おおのさんが、「あの決断は、命懸けでしたし…」と消え入る声で言ったのを、わたしは聞いてしまったんだよね。

おおのさんにとって、これまでの20年は宝物だということ。この先これ以上は無いと思えるほどの、宝物だということ。「あらしを畳みたい」という決断は、命懸けだったということ。発表のあと、ステージに立つのが怖かったということ。だけど、みんなの目が優しかったと、泣きながら伝えてくれたこと。

素直に、ぜんぶ受け止めたいと思った。大好きなあらしの、リーダーがそう言うんだもん。わたしなりに17年愛してきたグループの決断を、見届ける覚悟を、しようと思った。きっと2020年、今年以上に悲しくなったり、寂しくなったり、やるせなくなったりすることがたくさんあると思う。でもそういうの全部ひっくるめて、思いっきり抱きしめたい。せめて今日だけはと祈りながら、その背中にしがみついていく。そう決意できたのが、2019年12月です。

あらし、長い長いツアーお疲れさまでした。1曲目の感謝カンゲキであらしが出てきたときに泣いてしまったのは、紛れもなく20周年ライブだったからだよ。小学生のときにあらしに出会って、今もなおここにいるなあと思えることに、安心して涙が出たのだと思います。10周年はテレビでたくさんお祝いしてもらって、15周年はハワイに行って、20周年は何をするのかと思ったら、ひたすらライブ。ベストアルバムを出して、歌番組で色んな曲を歌ってくれて。サブスクで音楽配信してくれて、youtubeにもライブ映像のっけたりして、満20周年の日には新しい曲を届けてくれて。思い返せば、いつも音楽と共にある20周年だったね。わたしたちがあらしの歌を何より大切にしていること、知っていてくれてありがとう。これだけは、はっきりと言える。めちゃくちゃ楽しくてたくさん嬉しかった20周年だったよ!たくさんの愛をありがとう。来年も、よろしくね。