交点の先で

思えば遠くに来たもんだ

理由のないことから始まる夢がある

展覧会に行ってきた。ふだん何気なく触れていたものたちも、改めて額に入れて飾られると物語が生まれるね。

 

以下ネタバレしてます。

 

 

衣装、ライブの楽屋写真、NYでのshooting、5人それぞれの展示。どれもここ数年のものたちが並ぶ中で、唯一20歳前後の彼らが飾られていた部屋があった。「ピカンチの部屋」と名付けられたこの場所には、健一くんが当時撮ってくれた彼らのモノクロ写真が飾られていた。終わらない青春という言葉がよく似合う彼らだけど、それでもやっぱりこの時期にしかない青さが、あらしにも間違いなくあって。眩しくて正しいピカイチな部分だけではない、迷いとか焦燥感とか、大人になったら少し恥ずかしいような気もするハレンチなところ、それがこの一部屋に充満してた。お金がかかっていそうな凝った衣装とか、強くて優しいNYでの写真とか、ファンのことをすごく考えてくれている5人の部屋とか、どれもぜんぶ良かった、良かったんだけど、私は少し居心地悪そうに佇むこの部屋の写真たちにすごくすごく惹きつけられてしまったのよね。何度も目にしたことのある写真たちのはずで、昔からすごく好きな写真たちであることに変わりはなかったけれど、ああこの人たちは確かにこのときを生きていたんだな、いま私たちに強く優しく笑いかけてくれる5人が確かに通ってきた時間なんだな、って当たり前のことを感じられたというか。八塩団地で少し生きづらそうにもがいていた5人と、あのときのあらし自身が彼らの中でも少なからずオーバーラップしていて、20歳前後の特別な時間があらしにとって=ピカンチとして括られるのだということも嬉しかった。

20歳前後、青臭く揺れる5人を真摯に見つめてカメラにおさめてくれた人がいてくれてよかった。アイドルとしてというより生身の人間として、この5人と進んでいくしかない自分の人生にそれぞれの形で向き合う彼らが、間違いなくそこにいた。焦燥とか諦めとかきっとそれぞれに葛藤があって、それでも5人で内を向いて。隣の手を離さないことだけを頼りに、前に進んでいるかも分からないままそれでもいいと歩いていこうとするある種の痛々しさ。その痛々しさは、私にとって愛そのものだから。わたしなんかこの人たちの人生のことこれっぽっちも知らないけど、だけどそれでも、このとき5人が感じていたかもしれないあらゆる気持ちを、さくらいくんの言葉を借りるとすれば宝箱に閉じ込めたい。何も知らないのになんでだろうね、とにかく何にも代えられない大事なものだなと思う。健一くんの言葉、すっごくすっごく嬉しかったな。決して強くはなかったときの自分たちを見守ってくれた人がいるって、きっと今の彼らのお守りになるだろうと思う。

目に入った瞬間に一番心が揺さぶられた展示は、羽海野先生が書いてくれたさくらいくんの絵でした。見た瞬間に、なぜだか理由はよくわからないけれど、とにかく安心して、懐かしくなって、愛しくなった。でもわたしにとってのさくらいくんって一緒で、実家のような懐かしさと安心感があって、じんわり愛しい気持ちにさせてくれる人だから。そのまんまのさくらいくんが絵の中に生きていて、その目に捉えられた瞬間に離れられなくなった。わたしにとってこんなに大事なものだったんだな、自分でも気づいてなかったや。

展示会のためにアレンジされたデビュー曲がめちゃくちゃ良かった。歌詞が一面に書かれている場所があったり、そうやっていつも音楽と言葉を大事にするところが好きだよ。楽しい展示をありがとうね、どうかこの旅がこれからも続いていきますよう。