交点の先で

思えば遠くに来たもんだ

いつも見ていてくれたあなたへ

 

"俺のファン"から、いつも見ていてくれたあなたへ。

 

 

例えばの話。

チケットを買ってコンサートに参加すれば、それ自体があらしを好きな気持ちの表明になる。だけどコンサートの中でずっとしょうくんを目で追っているわたしの存在は、わたしだけしか知らない。真っ赤な服を着ていくでもないわたしは端から見て、あらしのファンではあれどしょうくんのファンではきっと無い。だから例えば、ハダシで2番目に手を挙げるだとか、ピカダブの騒ぎ出すの振りを必ずやるだとか、誰もそんなこと知ったこっちゃないだろうけど。でもわたしにとっては大事だった。だれも知らなくても、わたしはしょうくんが好きで、しょうくんの姿に応えたくて、そういう自分の気持ちをすごく大事にしてた。でもそんなこと、しょうくんが自分に応えてくれる人がいるって思えさえすれば、誰も知らなくても構わなかった。わたしがしょうくんをいつも見ているのも、しょうくんの夢が叶うようにと願うのも、じぶんが勝手にしょうくんを好きなだけ。ただそれだけ。わたしがしょうくんを好きだって気持ちを大事にしていることは、わたしだけが知っていればそれでよかった。ペンライトの海の一部になって、しょうくんの夢の欠片になれれば、それで十分だった。

2019.12.18のオトノハは、わたしがこれまでずっと一人で大切にしてきたしょうくんが好きだっていう気持ちを、真正面から掬い上げてくれた。ペンライトの海の一部だと思いながらしょうくんを見てきたわたしを、"and you"だと言ってくれた。ただただしょうくんが好きで、ただただしょうくんのことを見続けてきたこれまでの16年を、まるごと肯定してもらった気持ちでいます。しょうくんこそ、わたしのこと、わたしたちのことを、いつもちゃんと見ていてくれてありがとうね。

しょうくん。わたしはあなたを好きで寂しくなったことは一度も無いよ。いつも気付くとみんなに向いてしまうしょうくんのことが好きに決まってんじゃん。背負えるもんはぜんぶ背負って、じぶんが出来る最大限の人を喜ばせようとして、大きく大きく手を振るしょうくんのことが、大好きに決まってんじゃん。だから全然、それでよかったんだけどさ。まさか、こんなファンサしてもらえる日が来るなんてねえ。

あらしが好き、なんだけど。それ以前にしょうくんが好き、で。Luckymanのラップにおちてしまったあの日から、しょうくんの言葉がいつだって何より大切で。何となくしんどくなった日は、スケッチと、それからペンの指す方向ChapterⅡをいつだって聴いていて。しょうくん。わたしほんっとに、しょうくんが好きなんだよ。しょうくんのことがめっちゃ大事なんだよ!だから今日も、これまでも、これからも、変わらずにしょうくんの言葉がわたしの道標です。

オトノハ読んで思い出したのが。SHO BEATの最終回で、自作曲ばかりかけていたのはラジオが終わるからだったのかっていうリスナーからのメッセージにさ、違うよ、俺そんな回りくどいことしないよって、伝えてくれたしょうくんのこと。しょうくんが昔っから、必ず見てくれているあなたへ、いつも"俺の言葉"を伝えようとしてくれていることをちゃんと知ってる。だからラジオが終わったその瞬間に、オトノハが出来たんだもんね。ペンの指す方向へマイクを持って進むきみの背中に、まだまだ夢見続けるつもりなんで。これからも、よろしくね。