交点の先で

思えば遠くに来たもんだ

Song for you

わたしはあらしの優しいところがすごく好きなのだけど。「優しさ」っていろいろ種類があって、じゃああらしの「優しさ」は何なのかといえば。わたしは「否定しないこと」だと、つねづね思っている。わたしは彼らの、何かを否定せず受け入れる優しさに、何度も何度も救われてきた。あらしは、例えば悲しいことがあったとして、その悲しさを見て見ぬふりして無理やり前を向こうとするグループでは、なくて。悲しさを悲しさとしてそのまま受け入れて、だけど過度に嘆いたり悲観的になるわけでもなくて、嬉しいこともあれば悲しいこともあるそんな毎日が愛しいよねって言ってくれるアイドル。「悲しいこともあるけれど、それでも世界は素晴らしいよ、だから一緒に歩いていこう」っていうのが、あらしというアイドルの根底にあるスタンスだとわたしは思っていて。悲しいこともあるけれどそれでも世界は素晴らしいんだっていう綺麗事を本気で伝えるためにアイドルがいる。その世界を一緒に歩いていくのは親でも友人でも恋人でもいいし別に一人だっていい、だけどもし心細くなったら僕らがいるよって。そういうメッセージを、"今そこにいるあなた"に届けるために、あらしはこれまで真摯に音楽と向き合ってきたんだと、わたしは思ってる。そういう優しさが、わたしはすごく好きなんだ。

オリジナルアルバム16枚。256曲。思い返せば、あらしはずっとずっと優しかった。コンセプトを変え、手段を変えながら、変わらないメッセージをずっと、音楽を通して私たちに届けようとしてくれた。2020年という年に、これまでの音楽をデジタル配信する意味を、わたしはわたしなりに噛みしめたい。何度も何度も、それでも世界は素晴らしいと歌い続けてくれたあらしに、ありがとうの気持ちを込めて。

 

2001

・「On Sunday」(ARASHI NO.1 ICHIGOU)

ー誇れるくらい似たような毎日を 重ねて生きてこう

2002

・「愛してると言えない」(HERE WE GO!)

ー誰もが迷子だね 誰もがひたむきにわけあり

2003

・「できるだけ」(How's it going?)

ー変わっていくことを何故 僕らは恐れるのかなぁ

 変わらないものを笑うくせに

2004

・「途中下車」(いざッ、NOW

ーあの日乗り込んだ列車は 行き先もないままに

 不器用な呼吸で まだ 走ってゆく

2005

・「素晴らしき世界」(One)

ー僕らは泣いて笑って それでも明日を夢見てしまう

2006

・「ランナウェイ・トレイン」(ARASHIC

ー君がずっと不安でいるなら ぐっとつかんで

2007

・「Oh Yeah!」(Time)

ーいつからか少年は 涙のわけを知り 心で

 泣いて 顔は笑うんだ 咲いて 歩いてゆくんだ

2008

・「YOUR SONG」(Dream "A"live)

ーもし君が道に迷った時は いつだって僕がそばにいるから

2010

・「空高く」(僕の見ている風景

ー痛みも愛しい未来 行こう

2011

・「遠くまで」(Beautiful World)

ーSing together! …見渡す世界は素晴らしい

2012

・「Up to you」(Popcorn

ー土砂降りの後も心はFly(High!) 僕らはずっとここにいるから

2013

・「愛を歌おう」(LOVE)

ー悲しみなんて底がない だからこそ夢と刻む帆を張り

2014

・「Hope in the darkness」(THE DIGITALIAN

ー生きて行こうか すべて受け止め…素晴らしき明日へ

2015

・「心の空」(Japonism)

ー孤独や涙を 痛みや悲しみを 分かち合い 勇気に変えて

2016

・「To my homies」(Are you Happy?)

ー痛みも楽しみも 全てを受け入れて

 真っ正面から行こうよ 愛を信じてる 

2017

・「彼方へ」(「Untitled」)

ーこのままDon't stop the music 素晴らしいこの世界

 

あらしの歌が大好きよ。これからもどうか、歌い続けてね。

 

限られた愛と時間を両手に抱きしめる

2019年が今日で終わる。2019/1/27から世界が変わってしまったこの1年。そして満20年を迎えたこの1年。いろいろあったね、ほんとに。

悲しくなることも、正直たくさんあった。

努力して努力して前列の立ち位置になっても1ヶ月休めばまた一番後ろの列からやり直し、ってことをジュニアの時から知っているさくらいくんが、ずっと積み重ねてきたにってれのオリンピックキャスターを外れた。これは2020年末まではあらしとして出来ることをやりたいという本人の意志が多分に含まれたものだろうし前向きな選択かもしれない。けど、休止がなければ選ばれなかった選択かもしれない、と考えてしまうとやるせなかった。

にのみやくんが、結婚した。せめてツアーが終わるまで、せめて2020年が終わるまで、待ってほしかった気持ちの人がたくさんいたことは事実だと思う。ステージに立っているにのみやくんは何も変わっていないように私の目には見えたけど、悲しいのは、あらしやにのみやくんを見る目が確実に変わってしまった人がいること。みんなそうしたくて変わってしまったわけじゃない。でも、私はにのみやくんの人生に口出しなんてできない。だからどうすることもできなくて、変わってしまった現状を嘆くしかないことが寂しい。

あいばくんが24htvで手紙を読んだときのおおのさんの顔が、私は忘れられなくて。ライブの挨拶でも、活動休止後パワーアップして戻ってきたいという人と、2021年目以降のことは何も言わない人と、体型維持の話が精一杯な人がいて。2021年のその先は心なしか見ている方向が揃っていないままなのかもしれない、と思ったこともあった。

そもそも。あらしが活動休止するという事実を、わたしは自分が受け入れられているのかどうかも、まだよく分からない。もしかしたら最後になるかもしれないコンサートで、最後に歌われたHappinessにぼろぼろ泣いてしまったのは、めちゃくちゃ楽しくてでも終わってしまうのが寂しくて今この瞬間わたしとあらしがここにいるその尊さみたいなものに心が揺さぶられてしまったからだ、と思う。未来の保証がないからこそ涙が出るほど輝く今が生まれるのだけど、未来の保証がないことは涙が出るほど寂しかった。

言葉にできない違和感とか些細な一瞬も含めたら、数えきれないくらい。綺麗事ではかき消せなかった。だって、あらしがいなくなっちゃうって、そりゃ、しょうがないよ。

でも。でもね。5×20最終日、おおのさんが、「あの決断は、命懸けでしたし…」と消え入る声で言ったのを、わたしは聞いてしまったんだよね。

おおのさんにとって、これまでの20年は宝物だということ。この先これ以上は無いと思えるほどの、宝物だということ。「あらしを畳みたい」という決断は、命懸けだったということ。発表のあと、ステージに立つのが怖かったということ。だけど、みんなの目が優しかったと、泣きながら伝えてくれたこと。

素直に、ぜんぶ受け止めたいと思った。大好きなあらしの、リーダーがそう言うんだもん。わたしなりに17年愛してきたグループの決断を、見届ける覚悟を、しようと思った。きっと2020年、今年以上に悲しくなったり、寂しくなったり、やるせなくなったりすることがたくさんあると思う。でもそういうの全部ひっくるめて、思いっきり抱きしめたい。せめて今日だけはと祈りながら、その背中にしがみついていく。そう決意できたのが、2019年12月です。

あらし、長い長いツアーお疲れさまでした。1曲目の感謝カンゲキであらしが出てきたときに泣いてしまったのは、紛れもなく20周年ライブだったからだよ。小学生のときにあらしに出会って、今もなおここにいるなあと思えることに、安心して涙が出たのだと思います。10周年はテレビでたくさんお祝いしてもらって、15周年はハワイに行って、20周年は何をするのかと思ったら、ひたすらライブ。ベストアルバムを出して、歌番組で色んな曲を歌ってくれて。サブスクで音楽配信してくれて、youtubeにもライブ映像のっけたりして、満20周年の日には新しい曲を届けてくれて。思い返せば、いつも音楽と共にある20周年だったね。わたしたちがあらしの歌を何より大切にしていること、知っていてくれてありがとう。これだけは、はっきりと言える。めちゃくちゃ楽しくてたくさん嬉しかった20周年だったよ!たくさんの愛をありがとう。来年も、よろしくね。

せめて今日だけは消えないで

2004年。久しぶりに会った親戚から「何か欲しいものある?」と聞かれて、少し前から心の奥のほうで抱えていた気持ちを言葉にしてしまうか迷ったあげく、意を決して「あらしの、ピカンチダブルって曲のCDが欲しい」と口に出したあの日、小学5年生だった私はあらしのファンになった。あれから15年、中学生のときも、高校生のときも、大学生のときも、そして大人になった今も、あらしはずっと私の隣にいた。あまりに近くにいすぎるもんだから、いつのまにか見慣れてしまったところもあったのかもしれない。それくらい、もはや空気のように当たり前に、生きていくために必要なものとして変わらずそこにあって、それはこれからも続いていくもんだと勝手に思ってた。だけどやっぱり、永遠なんてものは無いらしい。

10代から20代、変わっていく自分の環境が怖くなるときもあったけれど、私には変わらずにいてくれる5人がいたから、歩き続けられた。ひとりぼっちの日も、泣きたい夜も、変わらずにくだらないことで笑っている5人がいてくれたから、乗り越えてこられた。ピカンチダブルのCDが欲しいと口にしたあの日からずっと私の人生にはあらしがいて、どんなときだって「この人たちほんっとくだらないな」って笑っていられたわたしの毎日は、特別な出来事なんて何もないけれどキラキラしていて、宝物だった。

あらしは宝物だと言った、彼の言葉に嘘はないんだろう。それでも、アイドルだろうがなんだろうが、人には人の人生がある。明るい道を歩いていたとしても、この先の長い道のりを遠く見つめたときに別の光を感じてしまったら、たとえその光に実体が無くても見てみたいと思うのは自然なことだ。否定なんてできないし、その光を見せてあげたいって気持ちにも嘘はないよ。

5人を取り巻くあらしというプロジェクトは、やっぱり少し大きくなりすぎたな、と思う。発表されてからたくさん聞こえてくる、知らない人たちからの誉め言葉。そんなことずっと前から知ってるもん、と泣きべそかきながら耳を塞ぎたくなった。だって、5人は何も変わらないから。5人はずっと前からそういう人たちで、そういう5人を15年もずっと、普通に愛していたんだから。ちょっと目立ったからって、お祭り騒ぎにしないでよ。おおげさに過去を振り返ったりしないでよ。ここぞとばかりに外野に構ったりなんか、しないで。やっぱり、背負う看板が大きくなりすぎたよ。もしかしたら本人も、この看板なんのために背負ってるんだっけって、誰に向けて見せてるんだっけって、何が本当なのか分からなくなっちゃったのかもしれないなって、思う。そういう違和感を感じながら歩き続けるのってしんどいからさ。自分を騙しながら進んでいって心が壊れてしまうなら、大切なものを守れなくなってしまうなら、一度その看板をたたむ決断は必要なのかもしれない。あらしがあらしでいられるのが、一番いい。

あらしはいまちょうど、夕暮れの中にいるんだと思う。明るい朝にはもう戻れないかもしれないけれど、かすかにまだ、5人のこれからを落ちていく夕陽が照らしてくれている。青春が終わるのだな、と少し前に呟いたけれど、いつか終わることも含めて青春と呼ぶのなら、やっぱりあらしはまだ青春の真っ只中にいるよ。もしこれがまだ走り続けるための決断なら、ここで一旦途中下車、ってことでしょう。下車した場所で、いろんな景色を見てくればいい。そうしてたくさんの景色を映したそれぞれの瞳の奥になお、4人の姿があると信じてる。しょうくんが言うんだもん、きっとまた会えるよね。

2年という期間は、あまりにも長い。空気みたいにそこにあったものがなくなってしまうなんて、正直まだ実感が無いんだよ。ただなんとなく悲しくて、ただ何となく寂しいけれど、そこにあるのは地続きの日常だから、もう涙も出ない。でもあの日曜日から確実に変わってしまったことがあって、それは2020年12月31日に一度終わりを迎えるということ。でも、終わったはずの夢がまた動き出すことだってあるでしょ。終わりに向かっていく限られた毎日の中で、どうかあらしがそのままのあらしでいられますように。無理に笑ったり、無理に泣いたりしないで、普通の5人でいられますように。せめて、せめて今日だけは。

 

 

 

 

 

 

 

 

Never ending the music

毎年、名付けられるツアータイトルに則して、パフォーマンスを通して伝えてくれているメッセージ、一連の流れに込められた意味を感じては受け取ってきた。去年も同じように「untitled」と名付けられたライブの意味を必死に考えていたけど、あの時はどうしても分からなくて。でもよく考えたら当たり前だ。だってその名のとおり、無題なんだから。タイトルを付けないライブで浮かび上がるのは、無着色の音楽そのものだ。一つ一つの楽曲に込められたメッセージが、そのままあらしからのメッセージなんだ。楽曲の物語性にフォーカスをあてて、それ自体をメッセージとするシンプルな構成のライブ。楽曲のテーマはそれぞれにあって、だからこその「untitled」なんだなって、映像を見てやっと腑に落ちた。

3時間のライブに一貫したテーマは無いけれど、楽曲それぞれがそのままあらしからのメッセージであり、その最後の結びとしているのがSong for youで。そう気づいてからSong for youを歌うあらしを見たら、どうしようもなく泣いてしまった。だって、思い返せば、あらしの歌はいつだってわたしのそばにあったんだもん。途切れずに、誰も離れずに、声を重ね続けてくれているんだもん。でも、それでもまだ、今は物語の途中だって言うんだもん。Song for you。このタイトル自体が、untitledツアーにおけるあらしからのメッセージそのものだ。これまであらしは、わたしを含めた、そこにいる"あなた"のために、歌を贈り続けてくれたよね。それはきっとこれからも。

思い返せば。小学5年生の時に欲しいものを聞かれて、なぜだかよく覚えていないけれど「あらしのPIKA☆☆NCHIdoubleっていうCDがほしい」と口にしたあの日から、今日まで。学校で友だちに嫌なことをされた日も。毎日机に向かってひたすらに参考書のページを開いていた日も。似合わないスーツを着て、自分なら大丈夫だと言い聞かせながら新しい扉を開いた日も。自分が何をやりたいのかさえ見つけられずに、重い足取りで満員電車に揺られた日も。いつだってあらしの歌を聴いていた。そして、変わらずに今も聴き続けている。歳を重ねて色々なことが変わってしまったけれど、それだけは今でも変わらない。わたしの人生は間違いなく、あらしの音楽と共にある。

じゅんくんがわざわざあの位置にもってきた「彼方へ」に、グループからの意志が込められていないはずがない。このライブでじゅんくんが伝えたかったことって、結局この歌のメッセージに尽きるんじゃないかな。特に、最後5人がリレーで歌っている部分。Song for you、未完、そして"Sing forever…"の歌い出しで始まる彼方へ。これからも僕ららしく歌い続けるよ、ってこんなにも伝えてくれてありがとう。これからわたしの人生に何が起きたとしても、そこには変わらず5人の声が、あらしの歌があるんだって信じられることにどれだけ救われるか。それだけで明日からもちょっと頑張ってみるかって、そう思えるんだよ。

あらしの音楽とは、あらしの歴史であり物語で、すなわちあらしそのものだ、とわたしは思ってる。Don't stop music-音楽が鳴り止まない限り、あらしの物語は終わらない。過去を振り返っても未来を見つめても、そこに5人がいて、メロディを重ねていてくれること。それはわたしのちっぽけな人生において、毎日を確かに歩いていくためのささやかな希望です。いつもずっと、本当にありがとう。そしてわたしは自分の物語を重ね合わせながら、これからもあらしの歌を聴き続けるよ。さあ明日からもまた、ちょっと頑張ってみよっかね。